1933小泉八雲記念館

 1933小泉八雲記念館

・建物名称  小泉八雲記念館(現存しない)
・建設場所 松江市
・竣工時期 1933年
・資料類 「建築雑誌」日本建築学会1934年9月

●写真、図面等

小泉八雲記念館模型(建て替え前の1980年頃、伊達美徳撮影)

現・小泉八雲記念館にある改築前の模型(改築時に製作)

現・小泉八雲記念館( 左は最上段の1980年写真と同じアングル 2004年撮影・伊達)

●八雲記念館訪問者の記帳にある山口文象の署名(1932,1934)

 1932年は画家の藤川勇造(山口文象がアトリエを設計している)と一緒に訪れたようだが、このときはまだ建っていないから、八雲会を設計前の打合せや下見で訪問したのだろうか、石倉俊寛松江市長と一緒でもあったようだ。
 1934年は建物は完成しているが、この1月26日に結婚したばかりの新妻との新婚旅行だったのだろうか。(伊達美徳)


●小泉八雲記念館(伊達美徳)

  1932年、二年間のヨーロッパ修行から帰国した山口は、流行作家のごとく精力的な建築設計活動を開始する。1933年に、松江市内に「小泉八雲記念館」を設計した。
 現在の記念館にある掲示によると、「市河三喜東京帝国大学教授と石倉俊寛松江市長との懇談の結果、、八雲会が結成され、約6500円の資金を集めて、昭和8年(1933年)二期年間が完成し、松江市に寄贈された」とある。
 松江出身の岸清一博士やハーンの愛弟子たちの募金活動による浄財によるものだそうである。山口文象にどのような経緯で設計が依頼されたのか分からないが、市河によるのかもしれない。
 そのデザインは、ドイツのワイマールにあるゲーテ記念館を模したと、昔の八雲記念館のパフンレットに書いてあったが、本当かどうか分からない。
 洋風二階建ての瀟洒な木造建物は、その当時としては 超モダンデザインであり、周囲の武家屋敷町の街並みの中では異彩を放ったにちがいない。
 今の記念館は10年くらい前だったかに建て替えられて、これはまた周囲の街並みを模した純粋和風建築でデザインとなっている。建て替えられた理由は、古くなって雨漏りがひどくなったりしたのだが、多分に景観的なこともあったろうと推測される。
 それはそれでひとつの理由だが、1940年代の山口文象の作品がなくなったのは惜しまれる。景観的に違和感があったかどうか。市民の目ではあるいはあったかも知れないが、半世紀以上の時間がつくりあげてきた松江の風景となっていたであろう、とも思うのである。
 今の風景のほうがたしかにいかにも昔からこうであったろうと思わせるが、実はそうではなかったのだから、風景の復元とはどういうことなのだろうかと、考えさせられる。
 山口文象のデザインした元の建物の形は模型として、今の館内にガラスのケースに入って展示してある。 だが見ると、屋根にあったはずのトップライトがないのは、多分、雨漏りや結露で取り払われたいたのを、そのまま模型にしたのであろう。つまり当初建築時の復元模型ではなく取り壊し時の形態である。(20090217記)

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